はじめての海外旅行は旧ソ連 後編

はじめての海外旅行

前回ブログ「はじめての海外旅行は旧ソ連」のつづきです。私が海外旅行体験で得たこと。
自己肯定力トレーナー・中小企業診断士の宮澤奈緒子です。

(前回のあらすじ)
私がはじめて行った海外旅行は旧ソビエト連邦。グループ旅行で、ホームステイが滞在のメインの旅でした。
極東の都市ハバロフスクから4日間シベリア鉄道に乗って到着した中央シベリアの都市、ノボシビルスクでは同い年で日本語を学ぶ女子大生グーリャのお宅にホームステイ。そこで当時のソ連の日常生活も含めて色んな体験をしました。

しかし、この後、はじめての海外旅行でもっと強烈な体験をすることになるのです。

次に向かったのは首都モスクワ

ホームステイを体験したノボシビルスクを離れ、次に向かったのは首都モスクワ。
ノボシビルスクからアエロフロートロシア航空に乗って3時間、モスクワに到着しました。
ちなみにシベリア鉄道で移動すると3日ほどかかるそうです。シベリア鉄道で1日かかるところが飛行機だと1時間。ロシアは本当に広い。

私たちが体験した強烈なできごと

モスクワに到着し、空港から街中に行って、私たちが目にしたのは、
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戦車
何台も連なる戦車に、私たちは軍事パレードか何かと思いました。
しかし、違いました。
私たちがノボシビルスクからモスクワに移動している間にすごいことが起こっていたようです。
それは、
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クーデター!!!

クーデターに遭遇した

1991年8月19日
ゴルバチョフ政権による「ペレストロイカ(建て直しの意味の改革らしい)」に反発した保守派が起こし、3日で失敗に終わったクーデターに遭遇したのです。
そのクーデターが始まった時に、私たちはちょうどモスクワに入ったのです。
クーデターがはじまってすぐに空路はストップし、数日後に日本に帰国予定の私たちが持っていた航空チケットは使えなくなりました。ただの紙切れに。
クレジットカードどころか現金を多くは持参していない学生ばかり。
旅行保険の補償からクーデターは対象外。
日本大使館にみんなで行ってみるも事態はよくわからず。
私たちは日本に帰れるのか。
どうしたら良いのか。
打開策をみんなで話し合っていました。

何があっても人には日常がある

その時、日本ではテレビや新聞で、軍隊とモスクワ市民が衝突するような、衝撃的な報道がされていたようです。当時はインターネットも普及していませんでしたから、オールドメディア(マスメディア)が中心。
軍隊と市民の衝突。
それは事実。

けれど、そんなピリピリとした緊張感のあるモスクワ市内で、私が見た光景は、戦車に乗ってアイスクリームを食べながら談笑している軍人たち。アイスクリーム。旧ソ連(ロシア)では、街のいろんなところでアイスクリームが買える売店があるのです。ロシアのアイスクリーム文化。
下手に軍隊を刺激しないように、戦車をじろじろ眺めることもしなかったけど、見た光景。
これも事実。
何があっても人には日常がある。

なんだかんだ言っても、私も生きている

結局、私たちは当初の予定と違う、新しい帰路のチケットを手に入れて日本に戻ってきました。
クーデターの3日間、発熱して体調を崩した状態だった私には、何がどうなって日本に帰ってくることができたのか、あまり覚えていないのです。(ノボシビルスクで慣れない果物を食べ過ぎてお腹の調子を崩していたところにクーデター騒ぎ。体調悪化で発熱。)おそらく、グループのホームステイを受け入れる段取りをしてくれた方々が手配してくれたのだと思います。

このはじめての海外旅行の体験で感じたこと。
経済状態が悪い国でも、治安もあまり良くなくても、
なんだかんだ言っても、人はみんな生きている!
そして、
クーデターに遭遇しても、体調を崩しても、
「私は無事に日本に戻ってこれた。私は生きている!

これを実体験して心から思えたことは、私の人生に役立っているように思います。
私の海外旅行体験から得たこと。
これは私の自己肯定感(私は私であって大丈夫。私は生きていていい。)に影響している体験。当時は自己肯定感なんて言葉は当然、知りません。
みなさんにも、こんな(クーデターという意味ではなく)自分の自己肯定感に影響している体験はないでしょうか。


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ソビエト連邦(ロシア)の思い出

はじめての海外旅行

クーデターが治まってから(だと思う)、観光もしてきました。
ロシアのバルト海に面した都市、サンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館に連れて行ってもらいました。世界3大美術館のひとつ。キラキラして宮殿のようなところでした。

ノボシビルスクでホームステイをした先の同い年のグーリャ。彼女とはその後、メールのやりとりをしたり、日本でも何度か会っているのです。日本語を学んでいた彼女は日本で働いていたこともありました。こんなに長く続くご縁になるとは思いもよらなかった。

はじめての海外旅行でクーデターに遭遇した私を、家族も親しい友人もだいぶ心配してくれました。
当時は心配してもらえて嬉しかったことや、上手く感謝が伝えられなかったけど、ありがたいことだったなぁ。

しかし、懲りずにロシアにこの後、2回も行ったのです(笑)。

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