外国に憧れた思春期
海外旅行体験で得たことを何回かに渡って書いてみようと思います。
それは私の自己肯定感(私は私であって大丈夫!)に影響している気がするからです。自己肯定力トレーナー/中小企業診断士の宮澤奈緒子です。
■ありのままの自分を大切に思うこと
■ありのままの自分を受け入れて、その自分を大切に思うこと
20代の若い頃、私は海外旅行が好きでした。
人口5万人くらいの雪深い盆地の田舎町に住んでいた私は、海外旅行のテレビ番組が大好きで外国に憧れていました。高校時代の地理の授業は面白かったし、世界地図を眺めているのも楽しかった。他の教科の授業中も退屈すると、よく世界地図を眺めていました。なんとなく漠然と、国連の職員になりたいと思ったこともあったかも。
私の海外旅行経験
はじめての海外旅行は旧ソビエト連邦でのホームステイ。それから20代はあちこち行って、商工会に転職してひと休み。最後に行ったのは15年ほど前に行ったタイ旅行。
行ったことのある外国はこんな感じ。
- 旧ソビエト連邦、ロシア:計3回(ホームステイ2回、参加していたボランティア活動の関係で小中学生の引率1回)
- 韓国:2回(社員旅行、そして仲間と)
- スイス、フランス、イタリア、バチカン市国のヨーロッパ周遊。(フランス語のできる友人と。目的地はフランスだったが、取れた格安航空チケットの関係から4カ国の周遊)
- メキシコ(職場に県の社会人研修生で?やってきた同い年の日系メキシコ人、クラウディアさんの結婚式に同僚と無理矢理誘ったもう1人と参加)
- タイ(はじめての“おひとりさま”海外旅行)
旅行会社の観光ツアーで行ったのは、最後に行ったタイだけ。
いつも同行者に恵まれて、どれも思い出深い旅行です。海外旅行体験で得たことは多い。
テレビで見ていた旧ソ連のペレストロイカ
縁あって最初に行った外国は旧ソビエト連邦。1991年のこと。当時の私は大学3年生。
中央シベリアにある都市「ノボシビルスク」と首都「モスクワ」で合計3週間ほどのホームステイをしました。
当時の旧ソ連は、ゴルバチョフ政権のもと「ペレストロイカ(建て直しの意味の改革らしい)」が行われていました。これまで情報もなく、知ることのなかった国の様子がテレビで放送され、高校時代は夜のニュース番組ニュースステーションを興味を持って見ていました。
その頃、旧ソ連国内では経済が悪化し、不足する生活物資を求めて店に人が行列になっている様子がテレビに映し出されていました。
当時の新潟県は、環日本海交流と言って、旧ソ連との交流に取り組みはじめていたようで、地元のマスメディアでも旧ソ連はよく取り上げられていました。
旧ソビエト連邦での体験
初めての海外旅行はグループ旅行で、新潟空港から極東の都市ハバロフスクに渡りました。ロシア語を学ぶ大学生が多いグループでした。
ハバロフスクからはシベリア鉄道に乗り、景色が変わらない、ただただ続く広大な平野を眺めながら、4日間かけてホームステイをする中央シベリアの都市ノボシビルスクに到着しました。シベリア鉄道もとても清潔とは言えず、茶色いゴキブリも出て、キャーキャーいう女子大生の仲間が多い中、たくましく退治するのが私の役割。
ノボシビルスクでは同い年で日本語を学ぶ、女子大生グーリャのお宅にホームステイしました。
初めて会ったときに、アジア人の私は幼く見えたようで、中学生に間違えられました。同い年なのに。
ホームステイ中に、本場のサーカスやキャンプ、いろんなところに連れて行ってもらました。当然、日常の買い物にも行きました。生活物資はやっぱり不足していて、お店に行列ができていることも実際に体験しました。日本と比べると、国全体では物質的には豊かとはいえない状態を経験しました。
ホームステイ先のグーリャは調子の悪い家電を叩いて言いました。「日本の製品は叩くと壊れるけど、ソ連の製品は叩くと直る!」本当だった。
なんだかんだ言っても、人は生きている
こんな体験をして私が思ったこと。
経済状態が悪い国でも、治安もあまり良くなくても、
「なんだかんだ言っても、人はみんな生きている!」
これを心から思えたことは、私の人生に役立っているように思います。
私の海外旅行体験から得たこと。
はじめての海外旅行で私はこの後、もっと強烈な体験をすることになるのです。
そして、その体験から得たことも大きい。
長くなりますので次回につづく。
この体験ってもう30年以上も前のことだなんて・・・。
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